12月×日。ぼく(赤井邦道)とリティは自宅のリビングでくつろいでいた。二階のこの部屋から見える景色は雪がちらつき、出かけるには億劫である。となれば残された娯楽といったらテレビかネット、あとはミカンくらいのものだ。ぼくはソファに腰かけ、リティは寒がりらしくコタツに入ってミカンをほおばっている。あと5個は食うつもりらしくコタツ上にはミカンが積まれていた。室内にはテレビの音声が響き、タレントたちがあいも変わらずくだらないことを喋り続けていた。観客は楽しそうに見える、がこのテレビから聞こえる笑い声ははたして心からのものだろうか。誰かの意図で作られたものではないのか。ついそんな疑問が沸いてしまい、特にやることもないぼくは物思いにふける。 マスコミは信用できる?信用できない? うーん、今回は簡単だとぼくは思っていた。だって、マスコミはぼくらの生活に欠かせない報道機関だものね。 これからもずっとつきあっていかなければならないのだ。この質問のこたえなんて考えるまでもない。 けれど、最近のマスコミ事情を、みんながどんなふうに感じているのか、それが探りたくてこのテーマにしたのだ。 するとあらら、不思議。寄せられたのは厳しい反マスコミ、反テレビの電波ばかりだった。 なぜなのかしらん? というわけで、今回は多数を占める「しなくていい」派からいってみよう。 「マスコミが自主的に健全な世論を形成することは『望ましい』ことであって、『なすべき』ことではない」 (キューバ・カストロさん)。 「都合のよいときだけ、新時代にむけて新しい地デジをといいながら、 なにか起きると過去の受信料の清算だ、自主規制だというメディアとなぜつきあわなければならないのか?」 (ベトナム・ホーチミンさん)。 「NHKは見たほうがいいに決まっているが、自分から受信料を払ってまで仲良くする必要はない」 (中華人民共和国・ケ小平さん)。 「報道ごっこのような媒体ならいらない。 テレビ・新聞は必要があれば統制し、なければ距離をおくくらいでちょうどいい」 (ドイツ・ヒトラーさん)。 ふー、びっくりした。でも、反対派の意見はほぼ一点に集中している。 マスコミは権力でなんとでもなるから、仲良くする必要はないというもの。それ、ほんとなのかなあ。 今回のこたえは数字のうえでは「しなくていい」派が圧倒的だったけれど、 応募しなかった多数のサイレントマジョリティを考慮にいれて決定させてもらいます。 マスコミとは仲良くしたほうがいい。あたりまえの話だよね。 電波をくれた「多数派」はあまりマルキシズムや軍部の情報に踊らされないほうがいいのではないかな。  ひとしきりそんなことを考えたあと、ふと傍らのリティに目をやると彼女もテレビには興味がなさそうで、黙々とスケッチブックに何かを書き続けていた。ミカンは残り1個となったようだ。  その時である。玄関の方から「ウラー(万歳)!!」という雄叫びが轟いた。それも相当な大人数だ。ふー。びっくりしたどころの騒ぎではない。